今ここ、について、再確認してみる

 

今ここで、幸せで居るって言われても、

 

現時点の今、ここ、は、悲惨な状況でね。

 

ってこともある。

 

とてもじゃないけど、今ここでしあわせなんて感じられない……。

 

そりゃそうだ。

 

 

ただ、

ここで言っている

現時点の今、ここ、は、

目の前の現実の中という意味であって、

 

今ここで幸せで居なさいという、

悟りや引き寄せで言われる「今ここ」とはちがう。

 

 

え!?

 

今の目の前の現実と

「今ここ」って

ちがうってこと!?

 

そう、ちがうってこと。

 

 

目の前の現実は、

過去の精神活動によって創り出された投影

と言われる。

 

それはまことしやかにここに在り、

間違いなく自分の現実だと思わせる。

 

それでも、目の前の現実は

過去の投影で、幻想。

 

現実を見て、感じているよ。

 

たしかに。

 

でもその現実は、過去感じたことから派生している。

 

過去感じたことが現実となり、

その現実を見て、また感じ、

感じたことが次の現実となる。

 

堂々巡りだと感じるだろうか?

 

堂々巡りが嫌ならば、どこで抜け出すか。

 

その現実を見て、また感じ、

と、

感じたことが次の現実となる。

の間で何とかすることだ。

 

それができるところが、「今ここ」。

 

じゃあ、じゃあ、

「今ここ」にいるって、どうやって、どこに居ればいいのよ?

 

どうやって、は無いな。方法は無い。

 

言葉ではピッタリに説明できないけれど、

 

今ここに繰り広げられるあるがままの現実と、

自分の様子を、

観ている状態にいる

 

って感じかな。

 

決して、今苦しんでいる目の前の現実に浸ることではなくて、

 

今、自分が目の前の現実を元に、

何を感じ、何を創造しようとしているかを観て

その創造の現場に居る。

 

っていう感じ。

 

じたばたしている自分から、

すうぅ~っと、引く感じ。

 

カメラさん、引いて引いて、って。

 

 

ひぇ~っていう現実を体験して、

とっても不安になる。

 

とっても不安なんだね、よしよし。

 

不安だと思ってると、また不安なことが起こるよ~。

不安だよ~。

 

大丈夫、不安なら不安だって認めればいい。

よしよしってね。

 

でね、

不安なんだね、よしよし、ってやっていると、

よしよししてる自分と、不安って、

ちょっと離れていかない?

 

「あれ、わたし不安を感じてるわ~」って。

 

 

きみが不安に飲み込まれてるんじゃなくて、

きみが不安を感じるために抱きしめてて、

 

その抱き締めていた不安をちょっとそっちに置いてみる感じ。

 

そして、ほんとうは、不安は要らない、

安心していたんだよね。

 

そう、安心していたい。

 

安心に意識を向けるといい。

 

現実に起こっていることが

どんなに不安をかき立てることだったとしても、

 

そっと距離を置く。

ふ~っと深呼吸する。

 

その場所が、今ここ。

 

 

一心不乱に何かをしているときも、今ここにいる。

 

現実から離れて、ものごとに没頭している状態。

 


ちょっと話しは逸れるけれど、

 

認知科学者のドナルド・ホッフマン氏は、

我々には現実がありのままに見えているのか?

 

の中で、

適応という言葉に触れている。

 

現実がすべて見えるものと

現実の一部が見えるものと

現実がまったく見えず、適応だけができるもの

 

この三者が生きるための資源を求めて競走した場合、

三番目の

現実がまったく見えず、適応だけができるもの

が、生き延びるという研究結果を報告している。

 

現実を正確に見ないことが、生存するうえで優位性がある

というのだ。

 

興味があれば見て欲しい。

 

適応とは(goo辞書より)

1.状態・条件などによくあてはまること。

 「事態に適応した処置」

 

これを、今ここに当てはめてみたら、

 

しあわせになりたいなら、

しあわせになる状態・条件によく当てはまればいい。

 

今ここ、は、

しあわせになる状態・条件によく当てはまる在り方

となる。

 

 

引き寄せでも、ノンデュアリティでも、

現実に意味はないと言われている。

 

引き寄せにおいては、

現実を無視して望む方向を見ろ、とさえいう。

 

現実に対処することの無謀と無意味さを考えると、

 

「今ここ」が、目の前の現実でないことが見えてくる。