結局はお金でしょ

このタイトルでなぜ神社か?   

 

結局はお金でしょ、という信念を持っていると、

結局はお金でしたでしょ~、という現実になるから、

(お金に助けられる、みたいなこと)

 

結局はお金なんだよって、信念が堅くなっていく。

 

それをその人の真実というのだけど、

 

真実って人の数だけあるから、

他の人にとっては真実じゃないわけでね。

 

結局は人でしょ、という信念を持っていると、

結局は人でしたでしょ~、という現実になっていくから。

(人に助けられる、みたいなこと)

 

人が仕事を運んできてくれたり、

人が人脈を運んできてくれたり、

人が問題を解決してくれたり。

 

 

どっちがいい、ということではなく、

 

どっちを自分の真実として生きていくか。

 

結局は、能力でしょ~

結局は、やる気でしょ~

結局は、人柄でしょ~

なんかもあるかもしれない。

 

 

ただ厄介なのは、

お金でも、人でも、何でも、

結局は〇〇でしょ~、の

〇〇に否定的な感情を持っていると、

 

(お金を手に入れるのには努力がいると信じていたり、

 お金にけちけちしてた親が嫌いだったり、

 お金に縁がないよな、なんて自分を判断してたり)

(人は敵だとか、

 人は信じられないとか、

 人に認められない自分、とか)

結局はお金でしょ~、人でしょ~って信じていると、

ちょ、苦しい~。

 

 

否定的な感情の少ないものに設定している方が、

人生はスムーズなのには違いない。

 

そこで、

否定的感情の比較的少ないものに、変えていくという手がある。

 

そして、

いっぺんに、何もかもを変えることができなくても、

少しずつ

結局は〇〇でしょ~、を書き換えてみる。

 

結局は、能力でしょ~

結局は、やる気でしょ~

結局は、人柄でしょ~

 

自分の能力を否定せず肯定的であれば、

ほ~ら、能力があるからうまくいく、となるし、

やる気も、人柄も、他のことでも右へ習い。

 

ほ~ら、やる気があるからうまくいく、となるし

ほ~ら、人柄が良いからうまくいく、となる。

 

 

結局は〇〇でしょ~、の〇〇を、

自分が否定しているものから、肯定しているものへ変える

 

 

もっと簡単なのは、

わたしを大好きになって、

 

「結局はわたしでしょ~」、を真実にすることかな。

 

それには、まんまのわたしを徹底的に愛すること、許すことだ。

 

ほ~ら、わたしだからうまくいく。

わたしだから、大丈夫なんだって、

 

ね (^_-)-☆

 

 

 

愛してるよ