自分を大切に(愛)していく中で
日々自分を大切にしているか、と意識していると、
「なかなか~ない」という癖に気付いた。
身近なところでは、
バスがなかなか来ないなあ、とか
お湯がなかなか沸かないなあ、とか
荷物がなかなか届かないなあ、とか
そのほか、自分に関しても、いろいろ。
なかなか書けないなあ、とか
なかなか認められないなあ、とか
なかなかやる気にならないなあ、とか
短縮すると、
遅いなあ、
できないなあ、
成れないなあ
みたいなことで、
もう、めっちゃ、「ない」ことに意識を集中!
んでもって、
その後ろに、「どうして?」「なんで?」
なんかが付くこともある。
どうして届かないの? なんか、問題でも?
疑問、ならまだしも、疑いに近くなっていないか?
これも、「否定」に意識を集中中! ってことだよ。
不安やら、イライラやら、不穏なエネルギーが続出
オーマイガー!
「なかなか~ない」という言葉を隠れ蓑にして、
「無い」という意識と
「否定」の意識が、百鬼夜行を繰り広げている。
うっかり、というか、何気に使っていることにびっくり。
「なかなか届かないなあ」
うん、今は、ただ、届いてないだけだよ。
なかなか、も、どうして、も、いらない。
そう、「今」ではない時間経過とか、
今そうであることの「理由」だよね、
それらは、安らぎや幸せには必要ない。
ただ、手元に、今は届いていない、だけ。
なかなかそうならない
は、
ただ、今は、そうなってないだけ
この違い、大きいと思ったんだ。
世界は、今、ただ、そうなだけ。
どんなきみも愛してるよ。