例えばドールハウスで 選択について考える

 

わたしが、自分の思考を、

ほんとうの意味で疑い始めたのは、

こんな話しを聞いてからだった。

 

それは、

車を運転していて、

人が飛び出して来た。

 

なので、ブレーキを踏んで

車を止めて、事なきを得た。

 

このブレーキを踏んだ

人が飛び出して来たという認識は、

どちらが先かと言うと、

ブレーキを踏むのが先、

だというのだ。

 

ブレーキを踏む、が起こり、

それに理由をつけるために、

脳がストーリーをこしらえる。

 

脳には、どんなときにも理由が必要なの。

 

何かが起こったとき、

誰が何をいつどうした、がストーリーに欠かせないから。

 

なんのため?

記憶するためさ。

 

 

 

さて、

 

ドールハウスで遊ぶって言っていいのかな、

人形を動かして、遊ぶおもちゃがあります。

 

人形を動かしているのは、わたし、ですが、

 

もし、人形の身体に意識があったら、

人形は、椅子に座ったのは

自分の意志だと思っているかもしれない。

 

わたしたちのように。

 

わたしには、わたしを動かすものの手は見えないけれど、

わたしの世界をどうにか説明しようとすると、

こんな感じかもしれない。

 

 

わたしは

動いている、

感じている、

考えている、

選択している。

 

だけど、それは、『わたしに起こっている』だけ。

 

しかも、わたしが起こしているのではない。

 

わたしが動いているのでもなく、

わたしが感じているのでもなく、

わたしが考えているのでもなく、

わたしが選択しているのでもない。

 

わたしに起こっている。

 

 

起こる。 ってなんだろう?

 

わたしは何かをしゃべっている。

しゃべるとき、口は勝手に動いて、

言葉がこぼれだしてくる。

 

わたし何喋ってるんだろう、って、

 

意識と喋っている自分が、

分離して感じられたことは、ないだろうか?

わたしは、ある。

 

泣いている自分と、

泣いているやん、って思っている自分。

 

怒っている自分と、

怒ってるわあ、となんか冷めて見ている自分。

 

『身体を持つわたし』に、

泣く、が起こり、

怒る、が起こっている。

 

 

頭でこんな内容をしゃべろうと考えたとしても、

 

その内容はだれが考えたのだろう。

 

わたしが考えた? 

うん、考えているかもしれない。

頭をひねって、

これをしゃべろうと考えているようでもある。

 

と思いたいけれど、

勝手に考えが浮かんでくるような気もする。

 

では、その考えのもとはどこから来るのだろう?

 

考えのもとは、わたしから来ている。

ただ、

ここでいうわたしは、

『身体を持つわたし、とはちがうわたし』だ。

 

身体を持つわたしに、

『身体を持つわたし、とはちがうわたし』からの~

考えが起こっている。

 

それに、

考えは無数に起こっている。

 

そして、

わたしは選択している。

 

 

だけど、

ほんとうの意味では、選択も起こっている。

 

選択は、この一瞬、今ここにおいて、

 

『身体を持つわたし、とはちがうわたし』によって、

 

わたしに起こっている。

 

 

「今」に在るとき、

『身体を持つわたし、とはちがうわたし』と同化できる。

その時だけ

選択は身体を持つ私にも可能となる……ように見える。(だけ)

 

 

奇跡を生む選択は、これ。

 

 

わたしたちは頭でこねくり回して、

選択できているように思っている。

 

でも、わたしが頭でこねくり回した選択は、

残念ながら、遅い。

 

もちろん、頭で考えている間も、

選択は次々と起こり続けている。

 

選択は毎瞬、

わたしが、あらためて選択しようと思うその刹那、

もうすでに、起こっている。

 

どうやっても、

頭で考えてこれを選択しようと、

自分で選んだと思っても

 

それは時すでに遅く、選択はすでに為されている。

 

 

スピードの遅い私の脳は、

その刹那の選択を把握することができず、

自分で選択できたと勘違いしている。

 

すべて起こっている。

 

わたしたちは、今、この刹那に起こる選択を、生きている。

 

 

選択はどんな生ものよりも、フレッシュさが命。

 

 

だから、今、この刹那を

 

ただ、

 

生きる。

 

 

 

誰が選択する?

 

そんなの必要?

 

わたしが選択した?

 

それが重要?

 

自我(エゴ)は、自分が何かをすることを

とても重要視する。

価値が与えられるからだ。

 

でも、そんなの必要?

 

 

頭で考えない選択を繰り返していくと何が起こるか。

 

それはやってみた人しかわからない。

頭で想像したって分からない。

 

 

やってみると、

 

悩んでいる人生なら、きっと何かが変わる。

 

不満のある人生なら、きっと何かが変わる。

 

 

起こって消えていくものを、ただ為すがままにしておく。

 

起こるがままが、わたしらしさだから。