それは〈愛してる〉という声から始まった

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願望実現から始まり、悟りや、非二元をさまよったわたしが、

辿り着いたのは、愛でした。


ある日わたしに、〈愛してる〉という考えが浮かびました。
聞こえてきた、ような気がしたのですが、
それではあまりにも非現実的に思えて、
愛しているという考えが浮かんだのだと思っていました。

 

〈愛してる〉という言葉は、わたしが何をしている時にも、
掃除をしていたり歩いていたり、何か考え事をしていたり、
文章を書いていたりするときにも、浮かんできます。
それに気を止めると、何となく頭の中で誰かが囁いているようにも聞こえます。

 

〈愛してる〉
じっと聞いていると、愛してるという言葉は、不思議だなと思いました。
愛してるという言葉を聞いていると、
じんわりと身体が温かくなり、
熱いものが胸に込み上げてくるような、幸福感を感じるのですね。

 

自分が考えているにしろ、頭の中が何か囁いているにしろ、
心地よくなるのだからいいや、です。

 

ですが、愛しているという言葉をささやき続けられていると、
どこか、自分は愛されていいのか? 
自分は愛されるに値するのか? という疑問に胸が苦しくなってきます。

 

〈愛してる〉という言葉は、はとてもうれしいのだけど、同時にとても苦しい。

そうしているうちに、苦しい理由について、
その声はいろんなことを伝えてくるようになりました。
というより、苦しんでいるのを見るに見かねて、
おいおい、という感じで教えてくれるのです。

 

もし、わたしと同じように、
抜けられない何かに苦しんでいる人がいるなら、
きっとこの声は何かのきっかけになると思い、
ブログにアップすることにしました。

 

ですが、この声は、わたしにとってのドストライクなのであって、
読む方にとっては、少し掠るだけかも知れません。
全くアウトかも知れません。
それでも、誰もが聞くことのできるあなたの声がある
それに気付かせてくれるかもと、わたしは信じて書いています。

できる限りわたしのエゴを通さずにお伝えすることを大切に、
心して書いていきます。


わたしたちが求めているものは、
わたしがわたしを愛しているという確信です。
わたしが愛そのものであることを知る、でもあります。

でも、わたしが愛であるというのはあまりにも抽象的で
わたしにはとてもわかりにくかったのです。
それを〈愛している〉という声が、
噛み砕いて伝えてくれたのだと今では思えます。

 

”わたしはわたしを愛している”というアファメーションを続けても、
あまり実感が無かったわたしですが、
今回〈愛してる〉の声を聴いていると、
本当に大切なものから自分は愛され護られている、と胸に響いてきました。

 

その本当の意味がもっと深いことをまだ知らなかったのですが。

 

 

つづく