旅するタロティストTowa  悟りとTowa'sタロットで楽に生きる

人生の目覚めとタロットのお話 Towaはどこへ行く

本当のわたしを生きる ④

最終的には「100%自分自身で在ること」――

 

100%わたし自身で在ることとは、
わたしがわたしを自然に100%表現できることだ。 

誰かを快適にする前に、「わたし」が第一。

わたしが快適でなければ誰も快適ではないと知ることだ。

自分より人を優先させることで、

優しさや思いやりを教えられてきた

わたしたちの思考は、

それはダメだろう、と言う。


世のため人のため、我慢しなさい。
そうすることで人の信頼を得られる、

褒められる、

賞賛を得られる。

好かれる。

そう教えられてきた。そうでない人もいるけれど。

 

けれど、その教えを実践したために、

わたしたちは自分を失い、

自信をなくし、

自分の心の声が聞こえなくなってしまったのだ

という事実を、もっと心に刻むことだ。

 

 これは、人にやさしくしたり譲ったりしてはいけない、

 と言っているのではない。

 自分が快適100%で在ることが、

 人への無償の優しさにつながるということだ。

 

たいせつなことは、

自分の本音をたいせつにすること、

自分の本音に嘘を吐かない、ことである。

思考がどれほど本音に嘘を吐かせているか、

誰もが気付くことができる。

しっかりと思考を見つめて、

思考の巧妙な嘘に気付いていくことがたいせつだ。

 

外に向かって表現するしないは、別として、

自分の本音を大切にすることだ。

自分の本音をたいせつにしている人は、

他人の本音も大切にできるし、

自分の本音に嘘を吐かない人は、

他人の本音にも嘘をつかせない。

 


わたしを幸せにできるのはわたしだけ――

 

『何々して欲しい』と人に求めていたことは、

全て自分で満たすことができる。

 

わたしたちは、
自分にはだめなところがある、
自分にはできないことがある、
自分には手に入れられないものがある、
そう信じ込んで生きてきた。

 

誰かが、
あなたは素晴らしい、
あなたに出来ないことは無い、
あなたは全てを手に入れられる、
と、教えてくれても、信じられなかった。

 

そして、自分で自分を満たすことができない

と思い込んで生きていた。

いつも自分には欠けているところがあって、
それを、外のもの(物や人の賞賛)で

埋めていかなければならないと、

思い続けてきた。

それが思考の元にもなっている。

 

その不足・欠けという思考がもたらすフィーリングが、
もともとはフラットな現実を、
自分で満たせない、

わたしは欠けている、

埋める必要がある、

という感じさせる現実としてあなたに見せたのだ。

そして、足りない部分を人や外に求めて生きてきた。

 

わたしたちはすでに満ちている存在だ。

忘れていることを思い出すツールが現実だ。

思考の癖である制限を手放せば、

欠けた丸が、完全な丸 になることを、

現実は思い出させてくれる。

思考の癖で、あなたを辛くする何かに、

強く意識を向けているよ、と。

 


本音をたいせつにするとは―― 

 

いつも良い気分でいることを、よく耳にする。

= いつも自分の本音を叶える
= 自分を最高に心地よくする

自分の良い気分が何かを知れば、

積極的に自分を心地よくできる。

今わたしは何を望んでいるか、

今わたしは何が心地いいかと、

小さなか細い心の声を拾い上げて、

一瞬一瞬、自分の心地よさを大事に生きていく。

 

ふっと湧き起る衝動、欲求、心の声を、

「面倒くさい」「できない」で消してしまわず、

きちんと聞いてみる。

あーでもない、こうでもないと、

思考はとてもうるさい。

思考が何を叫ぼうと、

「心地よい感じ」を最優先の指標にしよう。

 

今寒いのを我慢させていないか?
―― 思考は、ちょっとくらい我慢できる、

と言うかもしれない。

 

咽喉が乾いていることを無視していないか?
―― 思考は、まだ大丈夫、と言うかもしれない。

 

本当はこっちのカップで飲みたいのではないか?
―― 思考は、わざわざ出すのが面倒だし、

と言うかもしれない。

 

本当はお茶じゃなくてコーヒーが飲みたいのでは?
―― 思考は、せっかく出してくれたのに、

   コーヒーが良いって言えないと、

言うかもしれない。

などなど。

コーヒーを所望することも一つの手だし、

所望せずとも、

わたしは本当はコーヒーが飲みたいんだなと、

ちゃんと認めておくことが大切。

コーヒーを望むなんて! 

などと湧き起った思いを否定しないことがたいせつだ。

 

小さな本音を拾い上げて、

自分を心地よくさせることは、

自分で自分を満たせるという自信につながっていく。

 

わたしは自分で自分を満たせる、

人にどんなに求めても、

たとえ賞賛を得られても、

それは真の自信ではない。

どんなに人に認められても、許されても、

自分で自分を認めていなければ、許していなければ、

決して自信にはつながらない。

どんなものも、人から得たり、

人によって失ったりできるものは、

 

わたしたち自身ではないのだから。


本音をたいせつにし、

自分を最高に心地よくすることができる自信は、

本来の、満ちているあなたを思い出させてくれる。

そのあなたを軸に生きていると、

うるさい思考が、

いかにあなたを惑わしていたかが分かるようになる。

そして思考を相手にする必要など

無かったことに気付いてくる。

 

あなたは、現実をフラットに観るようになり、

ただ起こることが、

どんなに感動的で、感謝に満ちているかに気付いていく。