悟りとTowa'sタロットで  運命を超える

人生の目覚めとタロットのお話

Tarot と悟り

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Tarotを知ったとき、悟りというものをわたしは知りませんでした。

人はあらゆることを望んでいます。
何が幸せかを分からずに、ただ単純に幸せになることを望み、
愛する人に愛されることを望み、
経済的に豊かになることを望み、
欲しいものを、行きたいところを、得たい快感を望み、


そしてやがてそれらを手にしていきます。

そう、みんな手にしているのです。振り返ってみて下さい。

ただその中で、何か手にした喜び感の少ないものにフォーカスをして、
不幸せを感じてしまうのです。

幼いころからの思い込み、癖づけされたもの、そんなものの中で、
わたし達は手に入れるもの、手に入れているのに幸福感の薄いものを
仕分けていくのです。

ただこれだけが足りない……、という人もいれば、
全部少しずつ足りない……、という人もいますね。

たとえば、今何かが食べたくて何かを買おう
そう思ったときに、実際に買えない人は、今この日本では少ないでしょう。

たとえ、本当に1円も持っていず買えなかったとして、
誰かにお願いすることはできるかもしれません。

お金の問題ではありません。
寝込んでいて動けない時、それは手に入らないでしょうか?

素直に求めた時、それは、手に入らないでしょうか?

わたし達は自分の求めたもの、求めることを許したものを
必ず手にして生きてきたのです。

誤解を怖れずに言うと、
手にしていないものは、自分に求めることを許せなかったもの。

不安や怖れを食べすぎたエゴが創り上げた、限界です。
十分に得られていない=足りないというのも、
十分に得てはいけない、という限界です。

話しは変わりますが、
わたしが悟りを知ったとき、真っ先に訪れたのは、開放でした。

一度垣間見た無の境地は、何も感覚も感情のない「無」でした。
ただ揺蕩うだけの世界。
それも全きの死とは違うのかもしれません。
死が怖くなくなったとも思いません。​
ただ、前程怖れなくなったのは確かです。

悟り、非二元に至った人は、わたしはいないと言います。
わたしがいないと認識している存在が、大いなる自己ということでしょうか。
幸せになるのに、それを知る必要がぜったいにある、とは思いません。

大いなる自己は、
全てはひとつ、時間も空間もなく、境界もない、場です。

全ては波動・周波数であって、といっても難しいだけです。

たとえば、数えきれない星が散らばる宇宙で、
幾億の星が凝縮された部分を銀河と呼ぶなら、

あらゆる原物質がその星一つ一つで、
フォーカスによって凝縮されたものが、
わたし達の肉体で在り、物質 = 銀河
という風に考えてみたらどうでしょう。

それは、ほどけると原物質(一つ一つの星)に戻り、すべてが溶け合う。
草も木も花も鳥も猫も空気も匂いも、わたし達も同じもの。

出来事さえもその中に溶けてしまうのです。

起こっては、再びほどけて溶けていく。
それがこの世界なのです。
​​

画家は、空間を平面に捉えます。
画家にとって空間は色の変化なのです。
絵の下手なわたしは、
空間を描き出そうとして失敗してしまいます。​

そんなことを考えていた時、
今という一瞬、
時間はないという現実が、何となく透けて見えました。

画家が描き出した1枚の絵が、「今、ここ」なんです。
一瞬はものすごいスピードで次の瞬間へと移り変わり、
わたし達に認識はできません。

画家の絵を思ったとき、
あ、これが連なった先を空間と呼び、
その空間の移動を時間と呼ぶのだと
何となくそんな理解をしました。

すべてが一瞬に起こっている
しかも完璧に。
時間も空間もなく、願ったことは同時にそこに在る。

物質界に生きているわたし達には、
重さが働き時間や空間を飛び越えることはできませんが、

本質であるエネルギー(周波数・波動)は、
もうそこに在るのです。

わたし達が毎瞬、今、ここに生きていて、
それを見失わない限り、そこへ行くのです。

見失わせるのが、
あなたが、自分に求めることを許せない、
不安や怖れを食べすぎたエゴが創り上げた限界です。

限界は、毎瞬起こっている「今、ここ」にはありません。

「今、ここ」にいられないあなたの内面と、
「今、ここ」に居る方法を、
Tarotは見せてくれるのです。